2010年12月20日月曜日

2008年 まんが甲子園 祝辞 - 関心空間

この文章を読み始めた諸君、読むのをやめて目を閉じてほしい。
目を閉じたら思い出してほしい。
小学4年生の君たちは、まんがとともにあったか。
今思い出した10歳当時の諸君が手にとっていたまんがの場面が、
まぶたの裏によみがえるだろうか。
それから諸君が始めて描いたまんがのキャラクターを思い出そう。
いつ、何歳くらいのとき、何を、どこで描いただろうか。
そのときの紙は何? 使ったのは鉛筆か、それともボールぺンか。
それを諸君はきっと覚えている。思い出すことができるはずだ。
だからいま、目を閉じてみよう。

たったいま、諸君が目の奥に発見したもの、それこそが「自分」だ。
自分とは何かがわからなくなったら、いつも目をつむるといい。
自分がこれからどこに行くのか不安になったら、
そのときも目を閉じることだ。
すると君たちのまぶたの裏に、自分の姿がよみがえる。
案外オレも、わたしも、頑張って生きてきたじゃないか。
そう思う。

そのとき諸君がほかの友人たちと違うとしたら、必ずあのシーン、
あのコマ割り、吹き出しのセリフが、
一緒によみがえることじゃないだろうか。
それに夢中になっていた、自分の姿が現れる。
そこに自分がいる。そしてその延長線上に、今の自分がいる。
昔の自分と今の自分。2つがしっかりつながって、1本の木か竹のように感じられる。
その感覚だ。それができるということが、諸君が大人になるということなのだ。

そして気づくだろう。自分はいつも、まんがとともにあったと。
一人で読んだとき、友達と読んだとき。
わくわくしながらめくったページ、退屈しのぎにめくった雑誌。
諸君がいままんがを描けるその背後には、まんがと共に送った膨大な時間がある。
だからいま、君たちはペン児になって、栄冠をかけて争うフィールドに立ちことができた。

まんがはいまや、世界の文化になった。
なったけれども、これを引っ張っていくのは本家本元、君たち日本のペン児でなくてはならない。
きみたちがその肩に担うのは、母校の栄誉ばかりではない。友達同士の友情だけでもない。
諸君は日本まんがの将来を切り開く、崇高なる使命を帯びている。
今は線を鍛えるときだ。線には最初、真似が必要だ。
好きな作家の絵を真似よう。
けれどもアイデアは借り物じゃいけない。
どっかにありそうな、誰かが思いつきそうな、ストーリーではつまらない。
何を描いたらいいだろう。
そのとまた目をつぶろう。このあいだの自分、半年前の自分、そこにヒントがある。
何に感動したか、何に腹が立ったか。誰が好きで、どんなやつが嫌いか。
それから親や兄弟や、友達や先生や。浮かんでくる人々の姿にヒントがある。

全国から集まったペン児諸君、たぶん一生まんがを読んでいく麻生太郎は、
たぶんいちばんきみたちに期待している一人だ。
諸君の作品を、雑誌で読める日を待っている。

衆議院議員 麻生太郎

「魂が身体に宿るのではない。身体が魂に包まれるのだ。」(ニール・ドナルド・ウォルシュ)

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