おとうさんがびょうきでなくなってから三年、ぼくは小学一年生になりました。
おとうさんにほうこくがあります。きっとみてくれているとおもうけど、ぼくはおとうさんのおべんとうばこをかりました。
ぼくは、きのうのことをおもいだすたびにむねがドキドキします。
ぼくのおべんとうばことはしがあたって、すてきなおとがきこえました。きのうのおべんとうは、とくべつでした。まだ十じだというのに、おべんとうのことばかりかんがえてしまいました。
なぜきのうのおべんとうがとくべつかというと、それはおとうさんのおべんとうばこをはじめてつかったからです。おとうさんがいなくなって、ぼくはとてもさみしくてかなしかったです。
おとうさんのおしごとは、てんぷらやさんでした。おとうさんのあげたてんぷらはせかい一おいしかったです。ぼくがたべにいくと、いつもこっそり、ぼくだけにぼくの大すきなエビのてんぷらをたくさんあげてくれました。そんなとき、ぼくはなんだかぼくだけがとくべつなきがしてとてもうれしかったです。あれからたくさんたべて空手もがんばっているのでいままでつかっていたおべんとうばこではたりなくなってきました。
「大きいおべんとうにしてほしい」
とぼくがいうと、おかあさんがとだなのおくからおとうさんがいつもしごとのときにもっていっていたおべんとうばこを出してきてくれました。
「ちょっとゆうくんには、大きすぎるけどたべれるかな」
といいました。でもぼくはおとうさんのおべんとうばこをつかわせてもらうことになったのです。
そしてあさからまちにまったおべんとうのじかん。ぼくはぜんぶたべることができました。たべたらなんだかおとうさんみたいに、つよくてやさしい人になれたきがして、おとうさんにあいたくなりました。いまおもいだしてもドキドキするくらいうれしくておいしいとくべつなおべんとうでした。
もし、かみさまにおねがいができるなら、もういちどおとうさんと、おかあさんと、ぼくといもうととみんなでくらしたいです。でもおとうさんは、いつも空の上からぼくたちをみまもってくれています。
おとうさんがいなくて、さみしいけれど、ぼくがかぞくの中で一人の男の子だから、おとうさんのかわりに、おかあさんといもうとをまもっていきます。おとうさんのおべんとうばこでしっかりごはんをたべて、もっともっとつよくて、やさしい男の子になります。
おとうさん、おべんとうばこをかしてくれてありがとうございます。
2010年12月1日水曜日
asahi.com:お父さん 僕が守るけん/片山君 最優秀賞-マイタウン広島
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「魂が身体に宿るのではない。身体が魂に包まれるのだ。」(ニール・ドナルド・ウォルシュ)
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また私の古流の旧師は、稽古場でよく、こんなことを言っていた。 「道場というのは、技を習いに来る場所。練習しに来る場所じゃないんだよ」 via saitamagyoda.blog87.fc2.com
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589 おさかなくわえた名無しさん :2009/12/20(日) 10:41:11 ID:drH61kOn アメリカの火星開発プロジェクトの話聞いてきた。 長期滞在のために現地生産しなきゃならないんだが、面白い話になってる。 米「パンと肉とポテト喰いたい」 ...
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会話が苦手な人が信じている事が三つある。反論は自分への攻撃、人は見下すか見下されるかしかない、意見が同じである事が仲良くなる事。会話が上手な人はそれらに従わない。許容し、裁かず、自尊する via twitter.com