2010年10月27日水曜日

電網辻々噺: とにかく「量」

音楽でもスポーツでも数学でも囲碁将棋でも、何でも同じ事だが(ビジネスでも同じ)、(※1)
最初はまずとにかく「量」をこなさなければならない段階というのがある。
効率だのセオリーだのテクニックだの、そんなものは一切無視、とにかく「量」、だ。
ボーカルで言えば「どれだけデカい声を」「どれだけの時間」出したか、それだけだ。
音程だのセオリーだのは全く要らない。

「ものになる人間」というのは、この段階を常人離れの勢いでこなしている。
これが才能と呼ばれるものの正体だと言ってもいい。
凄いギタリストはコピーの量も桁が違うし、英語の出来る奴は必ず語彙量の桁が違う。
この辺を勘違いして個性だの理論だのと語り出す奴は「その段階で止まる」。

だから何でもいいから「がむしゃらにやれば」いいんだよ。
詰将棋を解かずに答え見たって、それを何千・何万と狂った様にやればいい。
何だっていいんだ。
問題なのはひたすら「量」。
こんな事を人に聞いてる様では駄目だ。

※1.蛇足だが、当然この段階における指導では、「やった事自体(量)」のみを評価しなければならないが、これが出来る教師や指導者は世の中ほとんど居ない。

「魂が身体に宿るのではない。身体が魂に包まれるのだ。」(ニール・ドナルド・ウォルシュ)

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