2011年1月31日月曜日

2011-01-30 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

サー・ケンロビンソン ―パラダイムが変わる

地球上の全ての国が 公教育を改革しつつあります

その理由は2つあります

一つは経済的な理由です

21世紀の経済を乗り切らせるために

どう子どもたちを教育すればよいのか

答えを見いだそうとしていま

どうすればいいのでしょう?

最近の混乱で明らかになったように

来週末の経済状況も見通せない状況で

どうすればいいのでしょう?

また第2には文化的な側面もあります

どの国も 子どもに固有の文化を受け継ぐための

教育を見いだそうとしていま

社会文化遺伝子を伝えるのです

一方でグローバル化は逃れられず、いかに両立させるか

これまでの方法は、未来に合わないことが問題です

その間にも学校に目的を見いだせない子どもが何百万人も疎外されます

学校では こう言われます

一生懸命勉強してよい成績を取って

大学を出れば仕事が得られる

子どもたちはそんな話は信じません

子どもたちのほうが正しいです

学位はあってもいいですが、何も保証しません

自分にとって大切なこと犠牲に進学だけを重視するのは

間違ったことです

現状打破のために基準を高めるべきだと言う人もいま

まぁそうでしょう 基準を下げることはな

基準を下げるべきだと説く人に会ったことはありません

基準はもちろん高い方がいいでしょう

今の教育システム設計構想と組織とが

時代に合わなくなっていることが問題です

啓蒙運動の時代の知的文化

産業革命の経済状況の中で構想されたのです

19世紀中頃まで公教育システムはありませんでした

ただ お金持ちならイエスズ会で教育を受けることができました

しか税金で賄われる公教育はなかったので

全員に義務づける無料教育革命的なアイデアした

多くの人が不可能だと反対しました

労働者子どもたちに教育を与えてもメリットはな

読み書きも身につかない 時間無駄だというのです

そんな社会階層ごとの能力についての思い込みもありました

当時の経済的な要請公教育を推進しました

知性についてのモデルが背骨となっていま

それは啓蒙運動に端を発する知性の捉え方で

真の知性は演繹的推論の能力

古典原典についての知識という

アカデミック能力と呼ばれるものを指していました

公教育DNA として深く刻まれた考え方です

アカデミックな人とそうでない人という区別です

賢い人とそうでない人

こうして 多くの明晰な人たちが自分は賢くないと考えます

能力についてこの見方で判定されたためです

二本柱のようにそびえるのが経済と知性です

そして私に言わせれば このモデルが多くの人々の人生

混乱を招いていま

幸運にも

このモデルで多いに得した人もいま

しかし損した人も多い

これで苦しんだ人も多い

見当違いに作り出された近代伝染病を紹介しま

ADHD という名の疫病です

アメリカにおける ADHD 件数のグラフです

ADHD の処方件数というべきかもしれません

ADHD存在しないとは言いません 誤解しないで下さい

その有無を論ずる資格もありません

大多数の精神科医小児科医の考えだと知っていま

しかし未だに議論の焦点でもあります

私に言えることは 伝染病はないということ

扁桃腺の切除と同様に 子どもたちに日常の投薬をするのも

風変わりな医療のやり方です

子どもたちは歴史上最も刺激的な時代に生きて

PCiPhoneや 何百ものテレビチャンネルなどの

情報にさらされ 気が散らされます

なのに気が散ったからと罰しようというのです

退屈な何かから気を散らすのです たいがいは退屈な学校で

正気の沙汰といえるのでしょうか

ADHD 件数の上昇は 標準テストの普及と一緒に進み

子どもたちはリタリンやアデラールなどを投与されるのです

危険を伴う薬の作用で集中させ落ち着かせられます

ADHDアメリカを東に移動するに連れて増加しま

オクラホマ辺りでは興味をなくし

(笑)

アーカンサスまで行くとまともに考えられなくなり

ワシントンに着いた頃には、気が変になっていま

(笑)

何か違う理由があるのではないかと私はにらんでいま

作られた伝染病のようではありませんか

芸術について考えてみれば ―これは芸術に限らず

科学数学にも通じる話です

とりわけ芸術が、今のこの風潮の犠牲になっていいま

とりわけ

芸術は、美的な体験を通して学ぶものです

美的経験とは感覚が最高に機能して得られるもので

今のこの時を体験し

経験していることの興奮と共鳴するように

いきいきと生きているときに得られます

麻痺状態とは感情を塞いだ状態で

何か起きても興味も湧きません

そして多くの ADHD 薬はこの手のものです

子ども教育するために麻酔するなんて

やるべきではありません 眠らせるのではな

内なる何かを目覚めさせるのです

しかし今のモデルはこうです

今の教育モデル工業化のためにこれを模して作られたものです

いくつかの例を示しま

学校は今も工場のラインのように分けられ

始業のベルと別々の科目

別々のテーマに対して専門化され

子どもたちは今も集団で教育されます

年齢集団で教育システムを進んで行きます なぜそうするのでしょう

年齢で子どもたちを分けるのが大事だという根拠は何でしょう

まるで製造日が重要だと言わんばかりです

同い年の子どもでも優劣の差は大いに存在しま

あるいは一日のうちでも時間によって

大きなグループよりも小さなグループや時には一人になりたいかもしれません

学習モデルに興味があっても、製造ラインの発想から始めてはいけません

それは基本的に適合性であり そしてますます

標準テストと標準教程の普及につれて

標準化の問題になりました

進むべき方向は正反対だと信じていま

パラダイムが変わるとは このことを言いたかったのです

多様な思考法についての数年前の調査によれば

多様な思考法は創造性とは同じものではありませんが

ちなみに価値のある独自の考えを生み出すプロセス創造性と呼びます

多様な思考法は同義ではありませんが 創造性には欠くことのできない能力です

質問に沢山の回答を見つける能力です

質問を多くの可能な方法で解釈する能力です

エドワード・デ・ボノがいうところの水平思考です

延長線上や収束するように考えるのではな

単一の答えの代わりに複数の答えを探す

このためのテストを考案しました 例えばこんな質問をしま

ペーパークリップの使い道を幾つ思いつきます

お決まりの質問のあとで訪ねます

多くの人は10から15件ほど思いつきます

これが得意な人なら 200 件まで行くかもしれません

例えば、ペーパークリップが 200フィートの高さだったり、柔らかいゴムで出来ていたり

つまり それは私たちが知っているペーパークリップと別のものでいいのです

これがテストです 書籍ブレイクポイントとその先」の中で1500人にテストしてもらいました

テストの手順に従って、あるレベル以上を達成すると

多様な発想の天才とみなされます

では問題です 1500人の中で

多様な発想の天才のスコアを獲った人はどれぐらいいたでしょうか

もうひとつ伝えておかなければならないことがあります

幼稚園児にテストしたです どう思いますか?

天才は何パーセントぐらいいたでしょうか 80パーセント

80 結構です 98パーセントした

さてこの研究は長期にわたるものでした

5年後に同じ子どもたちに再テストを行いました

8から10歳のとき どんな結果を予想しますか? 50パーセントです

そしてさらに5年後13歳から15歳のときにも再テストをして

こんなトレンドを得ました

興味深い結果です

逆の展開を想像しませんでしたか? いかです

それほど良くないところからスタートして歳と共に向上すると思いませんでした

この結果は2つのことを示します 一つはだれもが持っている能力だということ

二つ目は 大部分が劣化してしまうということ

子どもたちの成長に連れて多くのことが起きました 多くのことです

考えられる最重要の出来事は 子どもたちが教育を受けたことです

10年を学校で過ごし、正解が一つと学びます 巻末にあるけど見てはだめだよと

丸写しはだめ それはインチキです

学校を出ればそれをコラボレーションと呼ぶのですが 学校は違いま

教師たちがこうしたかったからではなく そういうものだからです

教育はもともとそういうものだったのです

人の能力について違う考え方を持たなければなりません

アカデミックとそれ以外という古い考え方を捨てなければなりません

抽象的で理論的で職業的なものの追求しても 役に立ちません

第二に最も素晴らしい学びはグループの中で得られます

共同作業は成長の糧です

人々をバラバラにして 個別に評価した

生徒たちを自然学習環境から切り離すことになります

第三に 我々の組織文化の問題です

組織の習慣とそこに巣食う住人たちの習慣です

「魂が身体に宿るのではない。身体が魂に包まれるのだ。」(ニール・ドナルド・ウォルシュ)

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