日本人にとって「国語」とは何なのだろう、という話は以前から疑問に思っていたのだが、この本を読んで「ああやっぱりそうなのだな」との思いを新たにした。
どうやら日本人にとって国語とは「人前で恥ずかしい思いをしないような言葉の使い方」であるらしい。「何かを伝えるための手段」では無いし、「言語によって論理的に思考するための方法」でも無い。
言葉を替えると、「自分が集団の一員であることを示し、仲間外れを防ぐための手段」ということになるだろうか。学校の国語教育がそれを目指すのも当然と言えば当然だし、コミュニケーションや論理的思考の方法を国語の時間に全く教えないのも致し方無いことなのだろう。文芸観賞に流れがちなのも、「大人になって恥ずかしい思いをしないように」文芸作品を教養として知っておかせたいという配慮が遠因にあると見る。最近騒がれた「ら抜き言葉」や敬語の使い方などいわゆる「言葉の乱れ」論争も、結局のところこの「帰属証明のための国語」という枠組を一歩も出ていないように思える。守旧派は「古き良き伝統的日本」への帰属を叫び、「言葉は生き物」派は「今風の言葉を使う若者的集団」への帰属を重視する。しかし今本当に「国語」について考えなければならない問題は果してそこなのだろうか。
2011年1月11日火曜日
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「魂が身体に宿るのではない。身体が魂に包まれるのだ。」(ニール・ドナルド・ウォルシュ)
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