迷う、ということは一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。そこに自分の自信があり、誇りがある。社会生活は日々これ戦い、日々これ苦難。その時に心が動揺するかしないかは、信念の有無で決まる。私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというようなことは決してしません。絶対に成功するのだということを、確信してやるのです。何が何でもやるのだ、という意気込みでやるのです。私は小さい頃貧しかったので、最初は腹一杯食べたい夢でした。丁稚奉公にいってからは、貯金して早く店を持ちたいと思いました。商売をはじめても、大きな会社など望みませんでした。一段上の夢を着実にこなしていっただけです。学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。悩みはあって当たり前。それは生きている証であり、常に反省している証拠でもある。才能なきことを憂うる必要はないが、熱意なきことをおそれなくてはならない。誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。時には常識や知識から開放され、思いつきというものを大切にしてみてはどうだろうか。十のサービスを受けたら十一を返す。その余分の一のプラスがなければ、社会は繁栄していかない。「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。こけたら、立ちなはれ。たとえ平凡で小さなことでも、それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵します。世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します。
via sircus.tv